食のうんちく 戦艦大和『大和ホテル』 ~ 優雅な幹部夕食会はアリ?

【質問】
時期は第二次世界大戦中盤、舞台は日本海軍連合艦隊の旗艦である戦艦大和です。同艦は隷下部隊を指揮するため、太平洋のトラック島の湾内に停泊しています。同艦は最新鋭戦艦として冷房設備を備えるなど、乗員達の居住環境としては恵まれていました。同艦に座乗する連合艦隊司令長官の山本五十六提督は、夕食の際は主要幹部を集めて歓談するようにしていましたが、その際、軍楽隊に演奏させていたと伝えられています。当該夕食スタイルなどを伝え聞いた海軍将兵らは陰で、戦艦大和のことを「大和ホテル」と揶揄していたと伝えられています。山本提督が行っていた生演奏付きの夕食会について、貴方はどのように受け止めますか。

【回答】第二次世界大戦も中盤となると、日本海軍の艦隊、地上部隊(陸戦隊等)が置かれる環境は厳しさを増していました。そのような中で、冷暖房完備の恵まれた最新鋭艦大和に乗務する将兵らを快く思わない海軍関係者がいたかもしれません。しかし、その一方で、旗艦である戦艦大和に勤務する乗組員、とりわけ司令長官の重要な判断、決心を補佐すべき参謀達が担っていた役割は極めて重たいものでした。彼ら参謀の情勢分析、判断などが間違っていた場合、隷下艦隊・部隊の同僚達を死地に追いやることになりかねませんでした。広範な戦域をカバーすべき連合艦隊司令部は、時差の関係などもあり、ONとOFFの切り替えが難しい、事実上の「24時間勤務体制」を余儀なくされていたようです。山本長官としては、そのような激務をこなす部下達を、せめて夕食の時間だけでもリラックスさせてやりたいと思い、軍楽隊の生演奏などで慰労しようと思っていたのかもしれません。日本海軍の高級指揮官及び参謀を育成する教育・訓練機関として海軍大学校がありました。入校を許された海軍士官らは、翌日の図上演習等の課題をドッサリ渡されて、日によっては睡眠時間が1時間程度ということもあったようです。これに音を上げそうになる士官達に対して教官は「実戦では、立ったまま寝かせてもらえれば御の字だぞ」と奮起を促していたと伝えられています。

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